未来へ
第一話 ミライへの想い-4
| 来栖川HM研究所。 「このデータだと、直接使用することはできません。どうするべきかを答えてください」 小暮がミライに問う。 ミライはあごに人指し指を当てて、うーん、と2,3秒間を置き、やがてにっこり笑って言った。 「うん!分割型圧縮と、基礎認知プログラムを使う!ね?合ってるでしょう?」 小暮はにっこり笑って言った。 「はい、正解。今日はこれでおしまい」 すると、ミライは立ちあがり、うーん、と伸びをした。 「終わったーーー!」 小暮が片付けながらミライに声をかけた。 「ミライちゃんは学習型だけど、覚えが早いわね」 それを聞くとミライはうれしそうに笑った。 「本当!?えへへー、カズミ先生もわからないことがあったら何でも聞いていいからね!」 カズミ先生とはもちろん小暮のことである。 ミライはない胸をえっへん、とはった。 「じゃあ、マリア・ローレンの大定理について教えてくれない?」 「ま、まりあろーれん!?」 ミライは記憶の中の単語を思い出していた。 (まりあろーれん、まりあろーれん…確か、関数hの極値と…) ミライは紙の上にカリカリと数式を書きだした。 「えーと、こういう場合は帰納法で…」 小暮はその姿をじっと見ていた。心なしか口元が笑ってるようにも見える。 「それでこうして…あ、あれ!?」 ミライの手が止まった。 「え、えーと、こうして…」 また同じところで詰まる。 「どうしたの?ミライちゃん」 小暮がすまして聞く。 「え!?あのー…」 「できたの?」 「その…」 「………」 すると、ミライはぱっと立ちあがり、 「せ、セリオ姉さーーん!」 涙を浮かべて走り去った。 「…ちょっと、いじめちゃったかな」 残された小暮は苦笑するばかりであった。 「セリオ姉さーーん!」 半泣き状態のミライが廊下を歩いていたセリオに抱きつく。 「―どうしたのですか?ミライさん」 セリオはいつもの複雑な表情を浮かべる。 最近、セリオはこんな顔をするようになった。 ミライに抱きつかれたり、甘えられたりすると、 困ったような、嬉しいような、とても優しい顔を見せるのだ。 「解けないのー!」 「―解けない?」 「どうしてー!?」 「―ミライさん、落ち着いてください」 なんとか落ち着いたミライに事情を聞いたセリオが言った。 「―それは恐らくからかわれたのでしょう」 「へ?からかわれた…?それどういうことなの?」 きょとんとした顔でミライが聞き返す。 「―マリア・ローレンの大定理はいまだ証明されておりません。小暮研究員もそれはご存知のはずですが…」 「え?え?じゃあ…」 「―聞いてごらんなさい」 ミライは納得のいかない顔でうなずいた。 「カズミ先生、ひどいよお…」 ミライは頬を膨らませて小暮を睨んだ。 「あらー?知らないことを教えてくれるんじゃなかったっけ?」 とぼけた表情で小暮が返す。 「う…だって、だって…」 ミライが少しうつむく。 小暮は少しミライがかわいそうになってきた。 「ごめん、ごめん。ミライちゃんがあんまりかわいいんで、ちょっといじめたくなったのよ」 そう言いながら、ミライの頭をなでる。 「え?あ…」 ミライはぽおっ、と顔を赤く染めた。 「わからないことはこれからがんばって覚えていこうね?」 頭をなでられて機嫌が直ったのか、ミライは顔を上げて、笑顔で言った。 「うん!わたしがんばる!!」 「よし!今日もはりきっていこう!」 廊下でモップを片手に持ったミライが仁王立ちする。 「まずは準備運動!いち、にい、さん!いち、にい、さん!いち…」 モップを構えて、 「いくよーー!掃除は気合が肝心!!」 ミライの掃除が始まった。 「うおおおおーーーー!!!!」 「そりゃあーーーーーー!!!!」 「でりゃりゃあーーーーーー!!!!」 1時間後。 会う人会う人に手を振りながら、ミライは掃除を終えた。 「うーーーん、今日は昨日よりきれいになったなあ…」 掃除した廊下を前に、ミライは満足げな表情を見せる。 だが、ミライはすぐにきりっとした表情になり、 「だが、我が師、マルチ姉さんにはまだ程遠い…」 ミライは拳をギュッと握り締め、 「そのモップ、炎のごとく…その雑巾、風のごとく…」 ミライの独り言は続く。 「そう!!我が師、マルチ姉さんこそ黄金のモップにふさわしい最強の掃除屋さんなのだあ!」 可愛くて威勢のいい声はさらに続く。 「だが!!わたしは超えてみせる!!いつの日かあの黄金のモップを…」 「黄金のモップがどうしたって?」 不意に聞き慣れた声がする。 ミライははっと声の主を見る。 そして満面の笑顔でたたっ、と駆け寄り、 ぼふっ、と抱きついた。 「おとうさん!」 長瀬も手なれたもので、ひざを曲げてミライを受け止めた。 「やれやれ、ミライは甘えん坊だなあ」 「えへへー」 はたからみると、本当の親子にしか見えなかっただろう。 長瀬はミライをよいしょ、と抱き上げた。 「わあ…」 少し驚いたミライが声をあげる。 だが、長瀬はちょっと意地悪な声を出した。 「あれー?けっこう重いなあ」 「ええっ?」 「女の子なのにこんなに重くていいのかなあ?」 「そ、そんなことないよぉ」 ミライが抗議の声をあげる。 「いやいや、重いぞ。ダイエットしなくちゃな」 「お・と・う・さ・ん?」 ミライの声が変わる。 長瀬はくすくすと笑って、 「ほら、こんなに重い子は降りた降りた」 と、ミライをおろす。 ミライは頬を膨らませた。 「で、黄金のモップって何なんだ?」 「え?」 急に話をふられたミライが問い返す。 「さっき、言ってたじゃないか」 ミライは、ああ!と一声かけて 「黄金のモップはね、この世で最強の掃除名人だけが使える、まさにモップの中のモップなの!」 「ほお」 どこからこんな想像力が出てくるのだろう、と長瀬は思った。 「どんな汚れもこのモップにかかったら、イチコロ!たちどころに消えてしまうの」 「なるほど」 「わたしはそれを手に入れるために、日夜掃除の練習に励んでいるの!」 「ミライは掃除がうまいからなあ」 長瀬がそう言うと、ミライはううん、と首を振った。 「わたしにはまだそのモップは使えないの。あのモップを使えるのは、我が師、マルチ姉さんだけなの」 「マルチ…」 不意に出たその言葉に、長瀬は敏感に反応した。 「マルチ姉さんに比べれば、わたしなんてまだまだよ」 「マルチか…」 ミライは長瀬の声色が変わっていることに気付いた。 「おとうさん?」 「ん?」 「どうしたの?」 長瀬はふふっ、と笑って答えた。 「マルチもこうやって、一生懸命掃除してたなあ、って思ってね」 「へえ…ね、マルチ姉さんってどんな人だったの?」 長瀬はそうだなあ、と一呼吸置いて、 「姿かたちはミライとそっくりでね。気弱で、泣き虫で、甘えん坊で、そしてとても優しい子だったなあ。ミライやセリオとはちょっと性格が違うけど、とても可愛い子だった」 「そうなんだ…」 「そう…あんなに可愛い子だったのに、私は…」 ミライは長瀬の瞳に悲しみの色が宿っていることに気付いた。 「…おとうさん?」 長瀬ははっとして、微笑んだ。 「ミライは、マルチに会ってみたいか?」 「うん」 ミライは長瀬の瞳からその色が消えないことを心配した。 「そうか…いつかもう一度、会えるといいんだが…」 「…おとうさん…」 ミライには大体のことがわかっていた。彼女はマルチとセリオの妹なのだから。 「ところで、おとうさんはどうしてここに来たの?」 長瀬を気遣うようにして、ミライが尋ねた。 「ん、ああ…」 長瀬は一呼吸置いて、 「ミライに大事な話があってね」 「大事な話?」 わくわくした顔でミライが聞き返す。 長瀬の顔つきから、それがグッドニュースである、とミライは判断した。 長瀬はにっこりと笑って、 「おめでとう。ミライが高校にテスト入学することが決定した」 その瞬間、ミライの顔が輝いた。 「それ本当!?」 「ああ、本当だ」 「やったあ!」 ミライはそこらじゅうを飛び跳ねた。 「がっこうだーーがっこうだーー」 歌まで歌い出す始末だった。 「ついさっき決定してな。一番に知らせようと思ったんだ」 「じゃあ、みんなに知らせてきていい?」 「もちろん」 長瀬が言うがはやいか、 「それえーーー!」 とミライは駆け出した。 ミライが見えなくなって、長瀬はふう、とため息をついた。 「今度こそ、守る…守るんだ…」 長瀬はマルチとセリオのデータを消去した日のことを思い出していた。 心を失った、ふたりの涙を拭いてやりながら、 長瀬もまた涙を流していた。 (科学者として失格でもいい。私の首に代えても…ミライは守る) と、そのとき、だあーーと全速力でミライが戻ってきた。 「な、何だミライ?」 「お片付け、忘れちゃったーー!」 とモップとバケツを抱えあげた。 「うう…こんなんじゃ黄金のモップはまだ遠いなあ…」 そんなミライに長瀬は苦笑するのみであった。 ![]() unziさんに頂きました |